巡礼

ー新たな旅の形?ー

皆様、お元気でいらっしゃいますでしょうか?
陽射しも暖かくなり、どこかに出かけたくなる季節がやってまいりましたね。
(私は花粉症に毎年悩まされておりますが笑)
年明けから始まりましたコラム企画も最後となりましたが、今回は「巡礼」について触れてみたいと思います。
「巡礼」という言葉、皆様も一度は耳にしたことがあるかと思います。
その定義とは、「日常的な生活空間を一時的に離れて、宗教の聖地などを参拝し、聖なるものにより接近しようとする宗教的活動のこと」と記されています。(Wikipedia参照)
世界各地に様々な宗教の巡礼ルートがあり、もちろん日本にも幾つものルートが存在しています。
その中でも私が真っ先に思いつくのは、「四国遍路」です。

私は、愛媛県今治市で生まれ育ちましたので、「四国遍路」というものに小さい頃から馴染みがあり、お遍路さんを街中で見かけることも日常的で、禅宗の私のお寺でも「お大師様」(空海)をお祀りしております。
実は、今年から私のYouTube チャンネルで、四国遍路八十八ケ所霊場での般若心経ミュージック映像の企画がスタートしまして、既にこれまでに数カ所のお寺で撮影させていただきました。

その中で、実際に歩き遍路をされた方とお話しする機会があり、「遍路」の魅力について伺ったところ、こんな印象的な言葉をいただきました。
「道中は、急がないことが大事」。
遍路では、思いがけない出会いもあり、そして、四国の雄大な自然を感じながら、この上ない開放感を感じることができる。
しかし、旅を急いでしまうと、その全てを簡単に味わえなくなると言う。
その方は、札所のお寺で、たまたま出会った方と2時間も話し込むこともあったそうです。
また近年、海外のお遍路さんも増えているのですが、とある方は、清流で本当に楽しそうに泳いでいる海外のお遍路さんを見て、その自由さを見習うべきだなあ、と感じたそうです。
寺から寺へ、ただ歩き、五感で感じ、そして祈る。
八十八ヶ所に渡り、繰り返していく「遍路」とは、非日常の時間・空間を楽しみつつ、その非日常の視点から、今の自分自身のことを見つめ直すということなのかもしれません。
とはいえ、「歩き遍路」をするには、相当の覚悟と時間が必要となりますが、私はそこに、新たな旅の形のヒントがあるのではと感じました。
20世紀は物質的な豊かさを求めた時代でしたが、21世紀になってからのこの20年は少しずつ精神的な社会へ切り替わっていく期間だったと思います。
そして、昨年からのコロナ禍とともに、生活スタイル・価値観も大きく変わろうとしている中で、「様々なもので埋められた日常から、自分を解き放つ」ということを、私たちは潜在的に、これまで以上に求めている気がします。

「旅」もまさにその1つの方法なので、これからは、ただ素敵な景色を見て、美味しいものを食べる「観光」という意味合いからもう一歩深掘りして、「出会う」「体験する」「自己を見つめる」この3つの要素を含んだ、心に直結する「旅」をしていけたら、よりよい形で日常に戻っていける気がします。
日本には、「〜道」(例えば、書道、華道、武道、仏道など)という言葉がありますが、何なら「旅道(たびどう or りょどう)」とでも呼びたいくらいですね。
もともと、「道」という漢字の語源には、「魔除け」や「身を清める」意味を持つと言います。人が道を歩くということは、まさに心を整えていくことなのです。
「回り道はできるだけした方がいい。その方が途中の道を楽しめる。」
そんな言葉もあります。
どこか、今日のゴールだけを決めて、焦らず自由気ままに歩き、その時間を味わい、そして、最後に祈る。
考えてみれば、 「巡礼」とはまさに、「ととのう」旅の形かもしれませんね。

実は関西にも、「西国三十三所巡礼」という、古くから伝わる巡礼ルートがあります。
これは日本最古の観音巡礼で、総距離は約1000km、和歌山、大阪、兵庫、京都、奈良、滋賀、岐阜と2府5県にまたがる大規模なものです。
阪急阪神沿線にも霊場がありますので、この春、お出かけのきっかけにしてはいかがでしょうか?

Profile

薬師寺 寛邦 キッサコKanho Yakushiji
•僧侶であり音楽家。
•今治市臨済宗・海禅寺の副住職。

1979年生まれ。僧侶であり音楽家。今治市臨済宗・海禅寺の副住職。
般若心経に声を重ねアレンジしたアルバム「般若心経」を2018年にリリース。
今までに関連動画再生回数は、YOUTUBEや中国などのSNSで累計5000万回再生を超える。
アジアでの大反響を受け、2018年・2019年とアジアツアーを開催。
約2年で1万人以上の動員を記録する。
日本からアジア、そして世界へ、縁を繋ぎ、仏教を音に乗せ、伝え続ける。