武田信玄も徳川家康も味噌好きだった

みなさんこんにちは。そういえば、1日1杯の味噌汁生活、始まっていますか?

前回はお味噌の健康効果について語りましたが、今回は、味噌の歴史や味噌の種類についてお話します。

そもそも味噌はいつ頃から作られていたのでしょう?
それは、1300年ほど前の飛鳥時代に遡るといわれています。
奈良時代には、生糸や麻、塩、鉄などと共に味噌が税金として納められていたという記録が残っています。滋養のある食べ物としてだけではなく、消毒、殺菌など薬としても使われていました。

平安時代では、味噌は超高級品で、貴族や高僧など地位の高い人だけが食べられるもので、ほんの少しの量を何かにつけたり舐めたりしてそのまま食べていたそうです。

味噌がお味噌汁や調味料として使われ武士や庶民へと広がっていったきっかけは、鎌倉時代の武家社会です。それまでの朝廷や貴族が中心の世の中から、侍中心へと時代が変わり、都が移り、文化や風習も一変しました。

侍は戦いが本業で常に有事に備え稽古に励み、質素倹約第一とされたことから、手軽に食べられて栄養が補給できる、ご飯と味噌汁の「一汁一菜」という鎌倉武士フードスタイルが確立されます。ご飯に味噌汁をかけて食べる今で言う“猫まんま”が当時は推奨されました。
たしかに今の栄養学的な観点で見ても、汗をかいて失われた塩分やミネラルが素早く補給でき、しかもタンパク質など栄養価も高くて理に叶っていますよね。
室町時代になると、味噌は庶民にまで広がり農家は手前味噌を作るようになりました。

いよいよ、世は戦国。国取り合戦が激化する中、戦いに欠かせないのは、武器ばかりではありません。そう、軍に供給する食料(兵糧)の調達と質が大きな課題になります。

この時も栄養価の高い味噌は武将達の強い味方となりました。米よりも味噌が切れた時の方が辛い、という陣中手記があるほどです。

兵士たちをパワーアップし、長い遠征でも病気にならずに戦い抜いてもらうため、名将と言われる武将達は皆、味噌蔵を建てて味噌を作り、戦に持っていきました。

初めて味噌蔵を作ったのは、あの独眼竜・伊達政宗です。仙台の青葉城下に大規模な味噌蔵を作り、町に産業を作るとともに兵糧の生産に励んだのです。

武田信玄の味噌に対する思い入れも熱いです。信玄は“陣立味噌”なる兵糧を開発しました。通常味噌の熟成には最低3ヶ月はかかるところを、20日程度で完成するレシピにして、その味噌玉をなんと兵士の腰にぶら下げて持っていかせました。軍行をして合戦場に着く頃にちょうど味噌が出来上がる、という寸法です。

他にも“芋がら縄”というのを知っていますか?里芋の茎を縄のように編んで味噌と酒と鰹節で味付けをしてからしっかりと乾かした食べられるロープです。荷物を括る縄として使いつつ、陣中では刻んで水を入れて煮て即席の味噌汁にしたといいます。戦乱の世の備えは創意工夫に満ちていますね。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康も味噌を愛好していました。彼らは皆、東海地方出身。その辺りは米麹を使わない「豆味噌」文化です。豆味噌は、熟成に2年と長い歳月がかかりますが、その分味も栄養も凝縮します。

無類の味噌好きで健康オタクだったと言われる家康は、生涯にわたり具沢山の味噌汁を欠かさなかったと言います。江戸城に入城してからも故郷三河の八丁味噌を取り寄せて食したそうです。そのおかげか当時の日本人の平均寿命が37歳程だったにもかかわらず、その2倍以上の75歳まで長生きしました。

「味噌汁一杯三里の力」という諺があります。1杯の味噌汁は12kmを歩けるくらいの栄養が詰まっている、という意味です。戦乱の世を生き抜くソウルフードとして、味噌は大いにその威力を発揮したのですね。

ちなみに、味噌は味や色や麹の種類によってさまざまに分類できます。信玄が食していた信州味噌は、今日本で最も流通している米味噌のひとつです。米味噌は、米麹と豆(主に大豆)と塩を使った味噌です。豆味噌は、東海3県だけで作られる長期熟成味噌で、豆麹と塩だけが材料。麦味噌は、主に九州地方のスタンダードで、麦麹と豆と塩で仕込みます。

米味噌は大豆を分解したアミノ酸の旨味と米麹の甘み、熟成した酸味と塩分とが合わさって、バランスの良い日常づかいに適した味わいです。信州味噌が一般的ですが、伊達政宗が作らせ今に受け継がれる仙台味噌は米味噌の中でも少し塩分と豆が多めの濃色辛口味噌です。

豆味噌は、しっかりと重しをかけて2年も熟成するので、出来上がりを掘るのが大変なくらい堅く締まった味噌になります。色もエイジングして真っ黒。濃厚な旨味と酸味の効いた味わいは、煮込み料理や田楽の味噌だれにばっちり合います。

麦味噌は、一般的に米味噌より麹の量が多く、塩分量が少なめなので甘く仕上がります。麦麹の繊維が残るのも特徴です。九州地方は、醤油も甘く味噌も甘め。でも、なめろうに代表されるように甘めの味噌が新鮮な光物の魚とよく合うのです。

こうしてみると、味噌は歴史的にも地方色的にも誠に豊かな顔を持っています。1300年前に始まった日本の味噌づくりが今日まで受け継がれているのは、人々が大切に作りつないだからに他なりません。麹菌という見えないパートナーを上手に導いてきた日本人の繊細な感性に驚いてしまいます。旅が解禁となった暁には、是非各地の味噌蔵を訪ねてみてください。

参考文献:農林水産省HP
Profile

岸 紅子Beniko Kishi
•NPO法人日本ホリスティックビューティ協会代表理事
•環境省「つなげよう、支えよう森里川海」アンバサダー

自身や家族の闘病経験をもとに、2006年にNPO法人日本ホリスティックビューティ協会(HBA)を設立。多数の美容・健康・医療関係者とともに女性の心と体のセルフケアの普及につとめ、資格検定や人材育成を行う。また、自らも自然治癒力や免疫力を引き出すためのウェルネス講座を幅広く実施。
環境アクティビストとしても、ライフスタイルを通じた人にも地球にも優しいSDGsアクションを多く提言している。パーマカルチャーデザイナー、発酵食スペシャリスト、味噌ソムリエの一面も持つ。